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コミケットが動き始めた夜


75年の夏。「まんがヲタ」なる言葉は勿論まだなく、「まんがマニア」「漫画青年」と呼ばれる人種が いた。そして彼等/彼女等はCOMで「まんがエリート」と言われた選民意識【SFファンダムからの流入 もあるかもしれないが】を持ち、前衛を気取っていた。
また政治の季節は終りと言われていた。でもヘルメット姿の学生はよく見かけたし、 街を歩けば独特のカッティングをされた俗称トロ字体のアジビラを貰うことも稀ではなかった。 「いちご白書」で《就職が決まって髪を切ったとき》と唄われた頃だった。 そして今の若い諸氏には想像を絶するかもしれないが一定以上の支持を受けていて、 それは若い前衛を気取っている人種には顕著だった。

72年に始まった「まんが大会」は4回目を迎えようとしていた。その申し込み書に前回参加した一人の 少女が会場警備に当たっていたスタッフへの苦言を添え書きしたことから話は始まった。

その申し込み書を読んだスタッフが「じゃあ参加しなくてもいい」と申し込み金と一緒に送り返した。 【「本当に参加するかどうかわからない」との文面にそのスタッフは立腹したとも聞く】 そんな返金を受けたとき普通なら腹を立てても、苦情を持っていく先がないのだが彼女には 第1回の開催支援グループの一員であった「レインボーワールド」のS氏という知人がいた 【余談だがこの2人は後に結婚した】そして、そのことを知り憤慨していた彼と彼の仲間は 「まんが大会を告発する会」なる会を結成し、「まんが大会」主催者との交渉を持とうとした。

「まんが大会を告発する会」の行動スタイルは、当時の新左翼系で多かった「××を糾弾する会」とよく似いてた。 いや全く同じだった。実は「まんが大会を告発する会」には元全共斗の猛者なども加わっていて新左翼的傾向が強かった。

しかし相手は企業や自治体・大学ではなく任意団体だった。首都圏でのアクティブなファンはSFを含め ても100人内外の状況だった。以前の「まんが大会」の開催支援グループに糾弾側のメンバーがいることか らも狭い社会であったことは推測できよう。

つまり顔見知りの間柄だ。当然彼等は困惑した−そして顔見知りであるからこそ怒った。 そして対応策を協議した。彼等も75年当時20代の青年−全共斗運動は見聞きし或いは身を投じた世代 に属していた。だから糾弾側の行動予測は簡単に出来た。「こうすれば、こうくる。ならばこうすればよ い」戦略型ゲーム必修の「3手の読み」ができる。それで前例=【教授会】の取ったなかでの「最善の一手」 を指していくことにした。
これは後に思わぬ誤算を生む。「まんが大会」のイメージダウンだった。他に選択肢のない大学に属する か退学するかを迫るなら「最善手」だったかもしれない。でも「まんが大会を告発する会」が別イベント を作るとなると…趣味の世界で好んで「大学に似たような管理をする」組織のイベントに行こうとは思わ なくなっていった−特に「前衛を気取っていた」人種にとっては…

そして、その年の暮れに告発する会のメンバーが主となり「第1回コミックマーケット」が開催された。
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